2007年11月14日水曜日

小金ヶ原異聞 ~一刀流創成記~    其の六


 


 


 


 

「善鬼殿」

典膳が善鬼の前に立って頭を下げていた。

「善鬼殿、御勘弁下され__」

「何の事じゃ」

分かっていながら、善鬼はしらばくれて答えた。

「この度の試合、善鬼殿の裁可を待たずして勝手な振る舞いに及びましたる事、何と詫びてよいものやら……」

「その事なら良い」

善鬼は無造作に言っただけであった。

「師匠殿がそなたに言い聞かせた故、これ以上わしが言うべき事など無いわ」

こういう時、後輩が先輩に負い目を作った時には優しい言葉の一つもかけてやるか、逆に叱り飛ばすくらいの事でもした方が後腐れが無い物だが、善鬼にはそういう気配りが出来ないらしい。否、出来ないというよりは意識的に蟠りを作ろうとしているかのようであった。善鬼とはそういう性格でもある。どちらかと言えば根に持つ、というより寧ろそういう禍根を抱く事により、己の発奮材料にする。陰険と言えば陰険ではあるが、そういう恨みっぽさが彼の原動力に成っている事も紛れもない事実であった。

「じゃが__」

善鬼も一つだけ典膳に言うべき事があった。

「昨日の試合を目の当たりにしてわしも考え方を改めたわ」

善鬼が何を言わんとしているのかが掴めないのか、典膳は黙って次の言葉を待っていた。

「典膳よ、わしは正直そなたを見くびっておった。その方がひ弱な、まだ試合など出来ぬ半人前じゃと思い込んでいた」

善鬼はこういう点で正直であった。

「だがあの試合に臨んでのそなたの振る舞い、些かの動揺も見せなんだ腹の据わり様にわしも改めて考え方を変えねばならぬと思うた」

「善鬼殿……」

「これからは、わしとそなたは対等の立場じゃ。今迄のように兄弟子面で見下すような傲慢な事はない」

「もったいなき御言葉にござる」

「ただし__」

善鬼は改めて語気を潜めて言った。

「代わって対等の敵とも見なす事にした。今迄わしの倒すべき目標は師匠殿のみと思い定めておったが、今日からはそなたもその一人ぞ」

「過分なる御言葉、身に余る栄誉でござる」

裏表のない善鬼の言葉に、典膳も心からの謝意を口にした。

このやり取りを蔭から窺っていた一刀斉が、安堵の想いを実感した。どうやら善鬼は今回の件については既に水に流すつもりらしい。粗暴で意固地だが、そういう点では潔い所もある善鬼だった。少なくとも、腹に何かを蔵して人を陥れるような性格ではない。寧ろそういう不正が許せぬ、度を越すほどに恨みを抱くような性格でもある。数年前に死亡した、織田右大臣がこのような人柄であったと聞いている。

これで、一刀斉が抱いていた不安の一つは解消された。だが、新たに別の危惧も一刀斉にはあった。馬鹿正直な善鬼の性格からして、典膳に言った事は只の激励や照れ隠しではなく、紛れもない本心であろうと察せられたからである。或いは、本心ではなくとも口にした以上はその言葉に責任を感じるであろう。


 


 

その後、善鬼と典膳は互いに腕を競い合うように修行に励み、益々技量を高め続けた。

一刀斉の両刀、無頼の凶剣小野善鬼、非情の剣辣神子上典膳の名は本朝に知れ渡り、今では一刀斉一門に挑戦する輩は真実命を落としても構わないという糞真面目な求道者か、余程身の程知らずな愚か者だけとなった。少なくとも軽い虚栄心からこれに挑もうなどと云う事を考える者は居なくなったようである。

「近頃試合から遠ざかっておりますな」

「油断するでない」

典膳の軽口に、善鬼は怖い顔で言った。

「世の中は広い。いつ何時我ら一門に勝負を挑む兵法者が出て来ぬとも限らぬ心して掛かるが良い」

「あい分かり申した」

凶悪無残な善鬼の恐剣、涼やかな眼差しで相手を斬捨てる氷の戮士典膳、この二人に巷の剣客どもは恐怖の噂を掻き立てた。

二人の稽古もおさおさ怠りなかった。

単に腕を磨いて一門の名誉を守り抜くなどという生易しいものではない。遅かれ早かれ何れは戦う宿命にある二人だ。稽古の中から、少しでも相手の弱点を見つけ出そうと必死であった。

組太刀稽古の最中、善鬼は密かに殺気を典膳に送る時がある。それは相手に察知されない、実戦で使用する殺気だ。典膳は気付かぬようである。それが芝居なのか本当に典膳は己の殺気に気づかぬのか、善鬼はしかと分りかねた。

「善鬼殿__」

露骨な殺気に対しては典膳も反応する。

「そのように恐ろしい気合いを込めんで下され」

苦笑いで典膳がやり過ごす。

「何を言うか、典膳」

善鬼も言い返す。

「実戦にあっては敵がどのように来るやもしれぬのだぞ。この位で怯んで居ってどうするか」

そう言いつつも、典膳がどこまで本気であるのか善鬼には測りかねる所であった。互いの手の内を探り合いながら、善鬼は典膳との組太刀を必死に続けるのだった。

しかし、苦楽を共にして修行に励む同門同士、益々目に見えない絆は深まって来る。だが、その絆が逆に彼らを破局に誘おうなどと、誰が予測し得たであろうか。

善鬼は、典膳が自分と同じ、兵法に全てを賭けた求道者であると信じていた。典膳自身もそうであると、無邪気に思い込んでいた。だが、その思い込みが幻想であると思い知らされる時が来たのであった。

時に天正十七年。九州をほぼ制圧した豊臣秀吉は天下統一を目前まで達成し、とうとうその矛先を関東の覇王北条家に向け始めたのであった。

典膳の主家である里見家も、否応なくその渦中に在った。長年の宿敵とも言うべき北条氏を討伐するというので秀吉と協定を交わしたのは良いのだが、その一方で以前の盟友で今では仲の悪い土岐家ともいざこざを起こし、里見一族は現在万喜城を攻めに掛っている最中であった。

「師匠殿」

一刀斉の前に、典膳がまかり越した。

「この度は暇を乞いに参りました」

「よい、皆まで申すな、典膳」

一刀斉にも事情はよく分る。

「そなたの気持ちはよう分かった。上総に帰るが良い」

「師匠殿__」

ここ数年、一刀斉の衰えは益々進行していっている。頬のこけた、はかない風貌で激励する一刀斉の心遣いに、典膳は感動を抑えきれない。

「行くが良い、典膳。ただし、事が済んだら必ずや戻って参れ。いつでもわしらは供に在るという事を忘れるでないぞ」

「師匠殿……」

典膳は声を詰まらせた。

「典膳」

善鬼も典膳に一言掛けた。

「分かっておろうな、貴様の帰る場所はここだという事を。わしと師匠殿の在る所がそなたの帰る場所じゃ」

「善鬼殿……」

典膳は、今にも涙を流さんばかりであった。

世間の、所帯の大きな流派には彼らの気持ちは理解できぬであろう。師一人、弟子二人の一門にあって、この三名は今や切っても切れない堅い絆で結ばれていると言って良かった。しかも、命を賭けて腕を磨き、一門の名誉を守り抜いてきた同門である。その結びつきも自然に強くなっていたのである。

「必ずや、戻って参ります」

「しかと約束したぞ」

善鬼は典膳の手を握り締めた。

「良いか、わしとそなたは師匠の跡目を争う宿命の間柄でもあるのだ。戻れ、戻って必ず他日雌雄を決しようぞ」

「はは__」

典膳はとうとう泣き出してしまった。

「典膳、そなたの命はわしのものぞ。わし以外の者の手に掛ってあい果てる事など、断じて許さぬ、然様心得ておけい」

「構えて__」

固い約束であった。そして最終的には悲劇の端緒ともなる約束であった。だが、この時三人の誰もがその結末を知る由もないのである。


 


 

典膳は旅立った。

後には善鬼と一刀斉が残された。

典膳が居なくなって、善鬼の心にぽっかり穴が開いたようであった。寂しさ、遣る瀬無さ、否、それだけではない。

矢張り、自分と典膳は違うのだ。善鬼はそれを噛み締めていた。典膳には帰る場所がある。故郷があり、彼を必要としてくれる主家が有るのだった。善鬼にはそれがない。自分を必要としてくれるのは師匠である一刀斉だけ、帰る場所は師の居る所だけなのである。

彼の生まれ故郷は貧しい農村である。八人兄弟の五男として生まれ、その激しい気性のせいで村の持て余し者であった。実家でも彼を疎んじ、家を継いだ兄からはいつも冷たい目で見られていた。利かん気で人の言う事を聞かず、村の暴れ者の善鬼は常に周りから疎外されていた。その腕っ節で身を立てるべく参加した戦場では思うようにならず、とうとう浮き世を離れて山伏になるしかなかったのである。いざ合戦となると役立たずの善鬼を、人は軽蔑した。

「見よ、生まれは争えんのう」

士分階級の侍達は優越感と安堵をもって戦場で震える善鬼を見下すのである。時代は下克上の真っ只中、実力さえあれば誰でも、幾らでものし上がれる御時世だった。上は室町将軍足利義昭が織田信長に追放され、下の方でも素性卑しけれど実力有り、を吹聴する成り上がり者が大手を振って横行する時代である。逆にいえば上に在る者にとっては常に引き摺り下ろされる恐怖を抱かねばならない不幸な時代なのである。それだけに、臆病者の善鬼は彼ら地侍にとって侮辱すべき格好の相手だった。善鬼を嘲ったのは侍ばかりではない。寧ろ同じ階級に属する者達の方が善鬼に辛く当ったのである。

「あのような臆病者が居るからわしら足軽が侍どもに侮られるのじゃ」

同じ下層階級出身だけに、善鬼の不甲斐無さは見るに耐えぬのであろう。それに、善鬼が怯えるのは合戦の時だけで、平素はその巨体と荒っぽい気性で周囲の者たちを平伏させていたから、その恨みを込めてここぞとばかりに誰もが善鬼の事を非難するのである。普段の心掛けが悪いと言えばそれまでだが、自尊心の強い善鬼としては耐え難い屈辱であった。

そして修験道に身を投じた善鬼は伊藤一刀斉に見出され、漸く自分の居場所を与えられたのである。

典膳も同じだと思っていた。だが、彼は違った。自分とは、生まれも育ちも、そして現在に至るまで何もかもが違う人間だという事を嫌というほど思い知らされたのである。

裏切られたような想いだった。

"典膳__"

「善鬼よ」

草原に寝転んで、満天の星空を見渡す善鬼に、一刀斉が声をかけた。

「また、二人だけになってしもうたのう」

一刀斉には善鬼の気持ちが良く分かる。彼もまた、善鬼と同じような階層に生まれただけに、気持の通ずる所はあるのだ。伊豆大島に生まれ、板子一枚にすがって伊勢まで流れついて以降、波乱の生涯を送った一刀斉である。矢張り、一刀斉にとって掛け替えのない弟子は典膳ではない。善鬼だった。

「典膳は、戻って来おるかのう」

「戻って参ります」

星空を見上げたまま、善鬼は力強く言い切った。

「そうか__ぐほっ__」

「師匠?」

またしても一刀斉が咳込んだ。

「心配いらぬ、いつもの事じゃ」

「師匠……」

「どうじゃ、善鬼よ」

咳の止まった一刀斉が、善鬼に言った。

「そろそろ、決着を付けぬか?」

「決着?」

「うむ__」

一刀斉は頷いた。

決着__一刀斉と善鬼の間の決着、それは当然刃を交えての師弟対決であった。

元々善鬼はその為に一刀斉についてきた筈だった。

「そなたの業前は既に申し分無い。ここらで一つ、決着を付けぬかのう」

善鬼は答えず、黙っていた。

今、一刀斉と戦えば十中八九、善鬼の勝ちであろう。一刀斉の言う通り、既に善鬼の腕前は一刀斉を凌ぐほどになっている。加えて今の一刀斉は年齢とともに体調を崩し、その力は目に見えて衰えてきていた。今試合えば間違いなく一刀斉に勝つ筈である。

だが__

「師匠の仰せなれど、慎んでお断り申し上げまする」

「ほう」

一刀斉も淡白に答えるだけであった。

「何故じゃ」

「それは……」

善鬼は答えに詰まった。

「それがし、未だ師匠殿に打ち勝つ自信が御座いませぬ故、この善鬼、その下知には従いかねまする」

「貴公の腕前は既に天下に鳴り響いておるではないか」

「されど、師匠と手合せするにはまだ自信が御座りませぬ。申し訳無う存ずるが今少しお待ち願えませぬか」

「__そうか」

一刀斉はそう言ったきり、何も言わなかった。

「さればこれ以上申すまい。そなたにその気が無いとあらば仕様の無い事よ」

「面目次第も御座りませぬ」

何故、善鬼はこのように当たり障りのない、というより見え透いた遁辞で一刀斉との対決を避けたのであろう。

当然の事ながら、一刀斉を斬りたくなかったからである。しかし、善鬼本人はそうは思わなかった。

"典膳との、約束が有る"

そう思っていた。いや、自分にそのように言い聞かせた。

"典膳__"

善鬼は星空を見上げた。

"戻って来い。必ず戻って参るのじゃぞ、典膳よ"

善鬼は思い出していた。

いつか交した、典膳との他愛ない会話である。

「善鬼殿」

典膳が善鬼に問いただした。

「善鬼殿の、小野という姓は如何なるいわれで御座るか」

「いわれか」

そう言われても、善鬼には困ってしまう。

「いわれなど無いわ」

「元からの姓にあられるや?」

「そのような訳はなかろう」

善鬼も、正直に答えた。

「わしに元々氏素性など無い。小野というこの名字も、師匠殿が勝手に付けただけの姓に過ぎぬ」

「左様か」

典膳も納得したようであった。

「何ゆえに、斯様な事を問うのじゃ」

「いや、小野という姓は__」

典膳が答えた。

「拙者の母方の姓と同じにござってな」

やや照れたように典膳は答える。

「それで、自分と善鬼殿は遠い親類筋にあたるのではないかと思い、伺いましたる次第」

「なんじゃ」

普段は常に顔を強張らせたような善鬼も、思わず苦笑いを洩らした。

「これは師匠殿がわしに与えてくれた姓じゃ。元々わしのものではない」

「師匠殿が__」

典膳は感慨深げに言った。

「考えてみますれば、我らがこうしてここに居りまするのも全て師匠を介した縁にござる。されば、矢張り師匠は我ら二人を合わせるべくしてお引き合わせ為さったので御在ましょうや」

「ふむ__」

善鬼は、その時何も答えなかったが、今となっては典膳の言う通り、全ては一刀斉が計らった物ではなかろうか。

「矢張り、師匠殿は我らにとって氏神の化身ではありますまいか」

「かも知れぬな」

善鬼も、典膳の言った事を今一度噛み締めていた。

全ては一刀斉を介して始まった。

そう、今ある全ては。


 


 


 


 

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