2008年1月8日火曜日

はぐれ弥四郎流れ旅    ~第二章~  巻之弐


 


 


 

「まあ、よろしいではございませぬか」

「いやいや__」

一人は中背の男、もう一人は六尺はあろうかと言う大男だった。一応大小は帯びているものの、どちらも粗末な身なりで百姓か郷士、あるいはそれこそ浪人者と言った感じで歴とした正規雇用の主持ちには見えなかった。今の御時勢、世に浪人はあふれ返っている。大阪の陣が終わったのち西軍の落武者のみならず、福島正則を始めとした所謂豊臣恩顧の大名たちが徳川政権によって軒並み改易の憂き目に遭っており、先程綾音に絡んでいた浪人の如き禄にあぶれた野良侍がそこら中にウロウロしているのである。主家が倒産すれば当然社員たる家臣も失業し、路頭に迷う事となる。傭兵稼業も引っ張りダコの戦国バブルに沸いた元亀天正の乱世ならいざ知らず、六十余州遍く太平に満ちたこの御時世にわざわざ扶持にあぶれた貧乏侍を雇う勤め口など有ろう筈がない。関ヶ原を最後にバブルは崩壊し、今となっては武士など役立たずの無駄飯食いであるからして、有閑階級は一人でも少ない方が労働者も政府も有りがたいに決まっている。そうなったら時代劇でお馴染の、傘貼りや楊枝削りなどと言った内職で糊口を凌がなければならない。シノギを立てるのは、いつの時代も並大抵の苦労ではないのだ。

中背の方は頭に鉢鐘をかぶって竹刀を手にしていた。この竹刀という剣術の稽古具は江戸末期に至ってから、いわゆる千葉周作とか斎藤弥九郎などによって大いに普及し、主流を成すに至ったが道具の発明はそれよりずっと以前に遡り、安土桃山時代には既に登場していた。弥四郎の新陰流でも、ひきはだ等と呼ばれる袋竹刀が練習の主要な得物だったし、信憑性は兎も角、宮本武蔵と吉岡憲法の試合も実は竹刀を用いて行われた、などと言う記録も残っている。

「噂に聞こえたそのお腕前、是非にこの身で試しとうござれば__」

中背の男が手にした竹刀を大男に突き出し、何やら懇願、と言うより強要しているように見える。

「なんやなんや__」

弥四郎も野次馬に混じってこのやり取りを見物し始めた。綾音もそれに続いた。物見高いのはどちらも同じらしい。

「どうぞ、後学の為__」

どうやら鉢鐘の男が大男に竹刀で頭を打ってくれと頼んでいるらしい。何故、どう言ういきさつでそのような事になったのかは知らぬが、どうして中々の見物である。

「どうだい、旦那。一つやっちまったら?」

「そうだそうだ」

周りの見物人たちも無責任に声援、否、野次を飛ばす。大男が困ったように左右を見渡し、頭を掻いて照れくさそうな笑いを見せた。

「ねえ、あれ__」

綾音が傍らの弥四郎に声をかけた。

「どうするのかな、あの人」

「さあ、どうするんやろな」

弥四郎も綾音もすっかり野次馬に混じって興味本位で成り行きを見守っている。

「それでは__」

大男がとうとう根負けしたように竹刀を手に取った。竹刀と言っても、後世の割竹刀ではない。縦に割った竹を何本か束ねて先端に革の覆いを付けただけの雑な作りである。イメージとしては縛り上げた竹の束という代物だ。

「されば__」

「いざ__」

大男が竹刀を手に青眼に構え、相手も鉢鐘をかぶり直すように頭に安定させる。

大男が間合いを計ると、呼吸を整えて鉢鐘の男に歩を進めて行く。鉢鐘の男も息を詰める様に身構えた。

周りの見物人も、固唾をのんで成り行きを見守っている。当然、弥四郎と綾音もその中に混じって律儀に息を殺していた。否、弥四郎はむしろ大男が打ち易いように周囲の野次馬の呼吸を抑えて気を下に沈めている。別に大男の味方せねばならない事情とて無いのだが、竹刀で鉢鐘を被った相手を打つなどと言う、珍しい光景を目の当たりにする以上は矢張り成功して欲しいというのが弥四郎の想いであった。これも只の興味本位に過ぎないが。

バンブーブレードを構えた大男が更に間合いを詰める。只の余興のような事とは言え、失敗すれば物笑いになってしまう。その表情は真剣そのものだった。

丹田に呼吸を貯めると、大男は無造作に竹刀を振り上げた。大きく振りかぶって構えた訳ではなく、相手の頭上、一,二尺ほどの位置に切っ先を持ち上げたのだ。その一瞬、鉢鐘の男の重心が僅かに浮き上がったように、弥四郎には見えた。

大男が相手の脳天を竹刀で一撃した。

その擬音を文字にすれば、ぐあ、とでも表記すれば良いのか、どこかくぐもった音を響かせて竹刀が鉢鐘を叩いた。

動きはそれほど大きくないが、その一瞬、居並ぶ見物衆が息を呑んだほどの一打である。

辺りはシーンと静まり返っている。

がはっ、と鉢鐘の男が血を吐いた。男は足元もおぼつかずフラフラと揺らいでいたが、やがてその場にどう、と崩れ落ちた。

その光景に、今まで無責任にざわついていた野次馬たちも声を失っていた。

「ああ__」

大男が、なにやら妙に照れくさそうな表情で回りにお伺いを立てるような目線を配っていた。

「まあ、手加減はいたしやしたから、命に別条は無いでござんしょ。どなたかご親切な方がおられやしたら介抱、よろしくお頼みしやす」

それだけ言い捨てると、大男はそそくさとその場を後にした。


 


 

2007年12月27日木曜日

はぐれ弥四郎流れ旅    ~第二章~  巻之壱


 


 


 

「あーん、待ってよ、弥四郎」

「何やっとんねん、早よせんかい」

東海道はどこまでも続く。弥四郎と綾音の道中も始まったばかり。

「もう、弥四郎ったらあ。少しくらい待ってくれてもいいじゃない!」

「アホ」

手甲脚絆に杖をついた、如何にも旅支度に身を固めた武家の子女という格好の綾音を、これまた編み笠に羽織の道中姿の弥四郎が冷ややかに見降ろしていた。

「お前、食い過ぎなんじゃ」

「だってえ__」

つっけんどんに言い捨てる弥四郎を、綾音が恨みがましく睨み返す。

「仕方ないでしょ、お腹すいてるんだもん」

途中、茶店で一服した二人は団子を頼んで腹ごしらえをした。それは良いのだが、また綾音が食べる食べる、その豪快な食いっぷりに弥四郎の方が食欲も失せてしまうほどの勢いだった。

「人のおごりやと思て無遠慮に食いくさって」

「いーじゃない、男なんだから。ケチケチしてるともてないわよ」

「ふん__」

「それに、あたし朝ごはん食べてないんだから。少しくらい奮発してくれてもいいでしょ?」

「はあはあ__」

ワザとらしく目を細めながら弥四郎が頷いた。

「欠食児童に食いモン施すのも功徳やからのう。まあ仕方あらへんわ」

「なによ!」

腹にもたれた団子も大分消化してきたのか、勢いよく弥四郎に食い下がる綾音だった。

「弥四郎のケチンボ!」

「上方モンはシブチンでのう」

二人が同時にべーっとばかりに舌を出して、互いに相手を牽制し合う。

「アホなことしとる暇あらへん」

弥四郎が綾音を無視するように、再び東海道の幹線を歩き出した。

「早よ保土ヶ谷宿に着かにゃ、日イ暮れてまうがな」

「あーん、待ってよ__」

太陽はまだ高いとは言え時刻は昼過ぎ午の刻、いや、未に近い。日が西に傾きつつあった。

「そんなに急がなくても大丈夫でしょ?」

確かにその通りだが、そんな綾音を無視して弥四郎はズカズカ足を進める。

「もー、弥四郎のバカあ、人でなしィ!」

言いながらも置いていかれては堪らないとばかりに弥四郎の後を追う健気な綾音だった。

そんな二人の行く先に現れたのは、黒山の人だかり。

「なんじゃい?」

「なあに?」

弥四郎も綾音も足を留めた。

野次馬に囲まれて対峙しているのは二人の男だった。

2007年12月23日日曜日

はぐれ弥四郎流れ旅    ~第一章~  巻之六


 


 


 

「何か目的でも有るの、弥四郎には?」

「有るな__」

弥四郎は、きっぱりと言い切った。

「俺が修行の旅に出たのは__確かに腕を磨いて己の武芸を向上させる事、それが一つやけど、それも最終的な目的の為の過程と言えるな」

「何よ、その目的って」

「それは__」

弥四郎が、遠い眼を空に向けた。

「有る人との約束の為や」

「約束?」

「そうや」

弥四郎が、何かを思い出すかのように視線を虚空に放った。

「試合の約束や」

「試合?」

「そう__」

綾音の言葉に頷くように、弥四郎が空に向けていた顔を下に降ろした。

「あれは、俺がまだ、五、六才位やったかなあ、その人が俺の住んでる大和の国へ立ち寄ったんや。強かった。その人の強さに、俺はガキながら戦慄を覚えた。その時、俺は約束したんや。俺が大人になって、一人前の兵法者になったら、試合を受けて欲しいてな」

意外に純真な弥四郎の思い出話に、綾音も素直に聞き入っているようであった。

「勿論、子供の言う事や。多分その人は俺の事なんか憶えてはれへんやろう。せやけど、俺にとっては生涯を決定するほどの約束やったんや。俺の祖父も兵法者でな、それで自分も一流の武芸者になるて決めとったんやけど、その人との試合を目標に、俺は今日まで修業に明け暮れ、ひたすら己を磨いてきたつもりや」

「へえ__」

何やら、思わぬ美談に綾音もついつい聞き入ってしまっている様子である。

「それで、さ__」

綾音が遠慮気味に口を挟んだ。

「その、弥四郎が約束した人って、なんていう人?」

「その人の名前は__」

今一度、弥四郎が天を仰いで言った。

「新免宮本武蔵玄信殿や」

弥四郎は、あらん限りの想いを込めてその名を口にした。

綾音は無言であった。

暫し、意味不明の沈黙がそこに漂っていた。

「なんじゃい?」

綾音が、伸びあがって弥四郎の額に掌を当てていた。どうやら熱を計っているらしい。

「一体なにやっとんねん」

「アンタねえ__」

綾音が呆れたように言った。

「相手が誰だか分かってんの?宮本武蔵よ、宮本武蔵!」

心底どうしようもないという口調で、綾音が言った。

「武蔵って言ったらあれでしょ、やっぱり、あの宮本武蔵」

「当り前じゃ」

弥四郎が言った。

「宮本武蔵ちゅうたら他にどの武蔵殿が居るねん」

宮本武蔵には複数説がある。彼は武術でも剣術から杖術、鎖鎌に無手勝流など多数の流派を残している上、兵法のみならず書画や彫刻、絵画などで多岐に渡る才能を発揮している為、それぞれの分野での名人が宮本武蔵を名乗って御互いの宣伝に使ったというのである。

「アンタねえ__」

今一度、綾音が弥四郎に言った。

「相手が誰だか分かって言ってんの?」

「当然」

弥四郎も、綾音に負けじと踏ん反り返って答える。

「宮本武蔵でしょ?あんたなんかが敵うワケないじゃない!アタマおかしいんじゃない?」

「そらそうかも知れん」

弥四郎も、否定はしなかった。

「あの宮本武蔵なんでしょ?弥四郎なんかが束になって掛って行っても勝てる筈ないでしょ」

「そらまあ__」

答える弥四郎の声が低くなっている。確かに否定はしないが、流石にここまで言い切られると余り気分の良いものではないようだ。

「よしなさいって、幾らなんでも相手が強過ぎるわよ。宮本武蔵って言ったら、五十回以上試合して負けた事無いんでしょ?室町将軍兵法指南役とか、細川家の佐々木小次郎なんかに勝った、日本一の剣客なんでしょ?弥四郎が幾ら腕に自信があるって言っても、武蔵に勝てる道理なんてないわよ!」

弥四郎を止める綾音の口調が、厭に熱を帯び始めている。

「今の日本で、宮本武蔵に勝てる武芸者って言ったら一人しかいないわよ」

「誰や?」

「決まってるでしょう」

綾音は、胸を張って、自信を持って言い切った。

「あたしの十兵衛様よ!」

またしてもそれか、と言うように、弥四郎がゲンナリと肩を落とした。

「綾音は?」

「え?」

弥四郎の質問に、綾音が不思議そうな顔を見せた。

「綾音は、なんでこないな所に居るんかいな」

聞きながらも、正直弥四郎も及び腰である。何せ先程、言い方は幾分ぞんざいであったものの当人の身を案じて言った言葉に激怒しただけに、このような質問に対してまたも癇癪を起しはしないかと心配な弥四郎であった。

「__」

綾音は言葉に詰まった。

矢張り、あまり聞かれたくないらしい。

「あ、言いとう無かったら無理に言わんでも……」

「んー」

うつむく様におとがいを引いて、綾音は考え込んでいる。

「言いたくない」

弥四郎の方に向き直ると、努めて明るく綾音は答えた。

「だから言わない」

それだけ言うと、弾む様な足取りで駆け出した綾音は、元気にこちらを振り向いた。

「ほら、弥四郎、早く早く!さっさと来ないと置いてくわよ」

「はははは__」

こうなると弥四郎も、力無く笑うしかなかった。

二人が進み行く東海道に、風が吹いている。

空はどこまでも青かった。


 

2007年12月10日月曜日

はぐれ弥四郎流れ旅    ~第一章~  巻之五


 


 


 

「弥四郎、兵法者って言ってたわよね」

「言うたぞ」

綾音の質問に、堂々と答える弥四郎であった。

「やっぱり、武者修行の旅してるわけ?」

「それ以外に何が有るねん」

「じゃあ、ずっと上方の方に居たの?」

「いや__」

弥四郎がふっと空を仰ぎながら言った。

「ついこの間まで江戸に居った」

「江戸?」

「うん」

意外な答えに、綾音が目を見開いた。

「何、旅の途中で江戸に寄ってたわけ?」

「いや、そうや無うてな」

弥四郎が綾音の方を振り向きながら言った。

「江戸に住んどったんや」

「うっそー?!」

その、丸出しの上方訛りから近々まで彼が機内に住んでいたとばかり思い込んでいた綾音は、弥四郎の言葉に頓狂な声を上げた。

「かなり永い事居ったでえ。六,七年は住んどったかいな」

「なんで?」

「なんで、とは?」

「なんでそんなに永い事江戸に暮らしてるのに、上方言葉が治らない訳?」

「厭な言い方すんな」

弥四郎は、その種の考え方に対し恐らく関西人が時代を超えて等しく抱くであろう極々平均的な感想を口にした。

「上方の人間が、なんでわざわざ江戸の田舎言葉なんぞに合わせなあかんねん。五畿内は太閤殿下の時代から、更にその前から京の天子様もおわす日本の中心やないけ」

踏ん反り返って関西人の誇りを口にする弥四郎に、綾音は何となく親しみを深めた様な想いだった。

「せやけど、一応武家言葉位は喋れるけどな」

「へえ」

「意外におわしますや?」

言った途端に取って付けた様な武家言葉を口にする弥四郎であった。

「拙者とて武士の端くれ、御城内に在っては宮仕えの身に候えば、些かなりとも武家のたしなみは心得て御座る」

「御城内?」

弥四郎の言った、思わぬ不用意な一言に綾音が耳ざとく反応した。

「御城内って、まさか……」

「ああ__」

しくじった、と言うように弥四郎がそっぽを向いた。

「まあな__」

ここでその話題を打ち切りたいという内心を、相手にも分からせようと露骨に態度に表わす弥四郎だったが、綾音は容赦しなかった。そんな綾音の目線に抗しきれず、弥四郎は仕方なく言葉を継いだ。

「江戸城で勤番やってたんや」

「ええー!?」

またまた綾音がけたたましく声を上げた。道行く旅人が、何事かと振り向くほどの声音だった。

「弥四郎って、御旗本だったの?」

「ん、まあ__」

弥四郎が、曖昧に言葉を濁した。

「親父が直参でな。それで俺も一応登城して色々__」

「へえー__」

綾音が目の色を変えて弥四郎を見返した。

「弥四郎って、凄いんだ、意外と」

「何が」

「だって、天下の御直参でしょ」

そう言うと、弥四郎が鼻で笑った。

「要するに毎日毎日登城して、日がな一日無意味な役所勤めして、それだけで無駄飯頂戴しとるんやから、直参言うんは結構な商売やで」

「んもう」

綾音が、またしても機嫌を損ねて唇を尖らせた。

「何よ、折角褒めてあげてんのにイ__」

「褒めるてなあ」

弥四郎も嫌そうな顔で言った。

「そないな肩書褒められてもちっとも嬉しうないわ」

「弥四郎のへそ曲がりイ」

「ふん」

綾音に負けじと、弥四郎も口元を歪めて対抗する。

「実際、城勤めて、何やっとった思う?」

「知らないわよォ、そんな事」

「何百石たら言う旗本が、日がな一日詰めの間で時間だけ潰して、刻限になったら将軍の御膳運んだりなんやで、ろくな仕事もせんと目の玉飛び出るほどの俸禄取りくさるねんから、ホンマ何考えとるねん、全く」

「へえ__」

普段考えたことも無い話だけに、綾音もただ弥四郎の言葉に相槌を打つだけであった。

「わしも、別にやる事言うたら何とてないのに時間だけ潰して終わり。ろくろく武術の稽古もでけへんかったわ」

「そう言えば、弥四郎って兵法者だって言ってたわよね」

先程口にした言葉を、今一度繰り返す綾音であった。

「そうや」

「武者修行の旅だって言ってたわよね」

「はいはい」

「じゃあ、特別に目的なんてないよね?」

「うーん……」

綾音の言葉に、弥四郎が首をひねった。

「何、なんか目的有るの?」

「まあ、有るというたら……」

妙に意味有り気に、勿体つける弥四郎であった。

「自分を鍛える事?」

「ま、それはそうやけどな」

弥四郎が、更に意味深な態度で言った。


 

2007年11月30日金曜日

はぐれ弥四郎流れ旅    ~第一章~  巻之四


 


 


 

「へえー__」

既に相手の言わんとする所を察していた弥四郎は、乾いた眼差しで綾音を見返した。

「そういや、そんなんも居ったなあ__」

何とも冷めた口調の弥四郎に、綾音が熱い想いをぶつけながら問い詰めた。

「まあ、名前くらいやったら聞いたこと有るけどな」

「ねえ、会った事無いの?」

如何にも底意地の悪い弥四郎の態度に臆する事無く、重ねて問いかける綾音だった。

「さあねえ__」

そっぽを向きながら、白々しく答える弥四郎の冷たい波動を、綾音も感じてはいる。だが、そのくらいの事で引き下がるような綾音ではなかった。相手がどんなにこちらを軽んじようと蔑もうと断固として好きなモノは好き、絶対に節を曲げない腐女子のオーラを全身から迸らせ、弥四郎の冷たい視線に対抗する綾音の態度は追っかけの鑑と言うべき天晴れな姿だった。

「会うた事はないなあ」

益々わざとらしい口調で、弥四郎が呟いた。

少なくとも嘘は言っていない。彼が柳生十兵衛と会う事など出来る筈が無いのだから。

「何よお__」

綾音が口をへの字に曲げて言った。

「アンタも柳生で生まれたんでしょう?」

「まあ、名前くらいやったら聞いた事有るけどな」

「ンもう!」

綾音が面白くなさそうにふくれっ面を見せた。

「何よ、おんなじ柳生に住んでたのにい!領主様の御嫡男と会った事すら無いの?」

「残念ながら__」

ここまで来て尚、抜け抜けと白を切り通す弥四郎の猿芝居に、綾音は全く気付いていない模様である。それもどうやら素の態度らしく、意地の悪い弥四郎に対し、こちらも更に底意地悪く騙されたふりをしてやりかえそうなどと言う、もって回った意図は残念ながら無さそうだ。惜しむらくはそれも致し方ない。何せ、彼女にはその為の(?)特別な理由が存在したのだから。

「それでなあ」

弥四郎が言った。

「アンタ、さっきから十兵衛様十兵衛様て、その十兵衛様の顔、知っとるんかい?」

「トーゼンよ!」

弥四郎に向って、綾音は確信を持って言い切った。当の弥四郎はと言えば、事の成り行きにただ茫然となるばかりだった。

「誰でも知ってるわよォ!刀の鍔で片目を隠した、隻眼の剣士十兵衛様。有名じゃない!」

弥四郎は最早返す言葉すら失って立ち尽くすのみであった。

「幕府大目付の御父上、柳生但馬守宗矩様の命を受け、公儀隠密として諸国を流離う柳生十兵衛三厳様!ああ、わたしの十兵衛様あ」

盛り上がりに盛り上がり、既にいっちゃってる目つきの綾音をよそに、弥四郎はいよいよ白けた眼差し。

「__それで」

何とか、と言う風情で弥四郎が口を開いた。

「その隠密剣士の十兵衛様は、なんでわざわざ片目を隠してはんねん?」

「知らないのお?」

弥四郎のすすけた視線を跳ね返さんとするかのように、バッカねえ、と言いたげな表情で綾音が声を励ました。

「子供の頃、修業に明け暮れる十兵衛様を鍛えようと、御父上の但馬様が稽古の最中の十兵衛様に、飛礫を投げつけたのよ。流石の十兵衛様もその小石を避け切れず、片目を失ったの!」

弥四郎は更に白けの度合いを深めると、呆れた様な表情で一言も発する事は無かった。

「……それはな」

漸く、何とか持ち直したというように弥四郎が口を開いた。

「その__柳生十兵衛が子供の時、刀の鍔で片目を隠して稽古してた事があった」

弥四郎が、何を言い出すのかが分からずに、綾音がきょとんとした表情でこちらを見た。

「なんで?」

綾音が自然に聞き返した。

「兵法では、一眼二足三胆四力て言われるからな。それで片目を隠しながら木刀を振って、平衡感覚を研いてた訳や。そこに__」

不意に、妙に凄んだ様に弥四郎が声を潜めた。

「あのクソ親父が__柳生宗矩が小石投げくさった。目え隠した方からな」

忌々しそうに語る弥四郎を、綾音が不思議そうに見守っていた。

「当然、目エ隠してるから簡単に当たったわ」

息を詰めた様に、力を込めて弥四郎は言った。

「あの時の、あの親父の後姿__」

生々しい実感を漲らせて語る弥四郎に、流石の綾音も戸惑いを隠せない。

「__まあ、多分この時の話が妙な噂になったんとちゃうやろか」

「……あんた」

綾音が当惑しながら言った。

「……妙に実感籠ってない?」

「ほうか?」

またしても白々しくとぼけながら、弥四郎が綾音に答えた。

「__なんか、見てきたように言うじゃない」

「いやあ」

綾音から目線を外し、堂々と開き直る弥四郎であった。

「別にい、見た訳や無いけどな」

これまた嘘は言っていない。少なくとも、彼がその時の柳生十兵衛の姿を見ている訳はないのだから。

何やら不思議と淀んだ空気が二人の間に蟠っていた。


 


 

2007年11月26日月曜日

はぐれ弥四郎流れ旅    ~第一章~  巻之参


 


 


 

「氏井、さま?」

綾音が、夢見るような瞳で言った。

「弥四郎で構いまへん」

「ああ」

弥四郎の一言に、綾音が明るく笑いだした。

「んじゃ、これから弥四郎って呼ぶからね」

馴れ馴れしくもゴスンの口をきいて、綾音が弥四郎に笑いかけた。

「弥四郎も、あたしの事も綾音って、呼び捨てでいいから、これからもよろしくね」

"これからも?"

勝手に話を進める綾音に、弥四郎も不安の色を隠せない。

「ねえ」

弥四郎の脇を歩きながら、すっかり道連れ気分の綾音がこちらを覗きこむように言った。

「弥四郎は、これからどこへ行くの?」

「別に」

空を仰いで弥四郎は答えた。

「とりあえず当てはあらへんな。言うてみたら兵法修行の為の旅て事になるかな」

「兵法?弥四郎って兵法者なの?」

「そうや」

「へえー__」

先程の見事の奮戦ぶりを思い出したのか、人差し指を一本立てながら視線を上に向けながら何事かを考えているようだった。

「それから」

今一度、綾音が弥四郎に振り向いた。

「弥四郎って、上方の人?」

「まあな」

これだけ露骨に関西弁で喋りまくれば誰にでも分かるだろう。

「どこの生まれ?京?堺?」

「いや__」

弥四郎はのほほんと答えた。

「大和国や」

「大和?」

「そう、大和。柳生庄で生まれ育った」

「ええー?!」

弥四郎の答えに、綾音が突拍子もない声を上げた。

「柳生!?」

綾音が目を丸くして弥四郎に聞き返した。

「う、うん……」

またしても何か綾音の気に障るような事を言ったかと、内心ビビりながら弥四郎は、済まなそうに答えた。

「それじゃ、それじゃ__」

手足をバタバタさせながら、居ても立っても居られないと言ったように綾音が弥四郎に畳み掛けるような勢いで問い返した。

「十兵衛様と会った事、ある?」

「十兵衛様?」

綾音が何を言わんとするのかが分からぬ弥四郎は、きょとんとした面持ちで今いがた彼女が口にした言葉を鸚鵡返しに繰り返した。

「十兵衛様よ、十兵衛様」

またしても件の単語を繰り返し口にする綾音を、弥四郎は用心深く観察するように見返していた。

「十兵衛様て、どこの十兵衛様や」

「んもお__」

如何にもじれったそうに、顔を激しく左右に振った綾音が両の拳を握り締め、矢も楯もという按配で無邪気にまくし立てる。

「十兵衛様は十兵衛様よ!」

取り乱しながら同じ単語を繰り返す綾音を眺める冷やかな態度から察するに、どうやら弥四郎には彼女の言わんとする、謎の"十兵衛様"の意味は充分理解できている模様である。

「ジュウベエ様ねえ……」

しかし、そらっとぼけながら弥四郎は白々しく首を捻った。

「ああ、そうか__」

ワザとらしく、両の手をポンと打つ弥四郎であった。

「分かった、十兵衛様て、あの十兵衛様か」

期待に瞳を輝かせながら、綾音が弥四郎の言葉を待ちわびていた。

「アレやろ、アレ、惟任日向守明智十兵衛光秀!」

本気で期待していた綾音は、弥四郎の間の悪い冗談にずっこけた。

「アンタねええ__」

ゴゴゴゴゴゴー、と背後から炎を吹き上げながら、綾音が弥四郎に迫る。まあまあ、と言うように弥四郎が両手を軽く振って見せた。

「違いましたか?」

「あったり前でしょ!」

両腕を組んでソッポを向いた綾音に、流石の弥四郎も幾分済まなそうな顔で応じた。

「あたしの十兵衛様が明智光秀のワケないでしょ!第一、死んでるじゃない、明智日向守って」

「生きてるて噂やで」

「天海って、お坊さんのこと?」

慈眼大師こと南光坊天海__後世の歴史家に"徳川のラスプーチン"と呼ばれたこの怪僧は、その出自から何から謎に包まれており、それだけに人々の興味を掻き立てるものがあるらしく、世間ではこの人物について様々な憶測を交わしている。その一つに、この怪僧ラスプーチンの正体が国際プロレスに来日したヨーロッパ出身のワイルド・アンガス__ではなく、実は明智光秀だという荒唐無稽な噂は既に在世当時から天下に流れていた。

「だから!」

綾音が眉根を吊り上げて弥四郎に食って掛かった。

「あたしが言ってるのは……」

「会うた事あるで」

「え?」

綾音の呼吸を読んで、気をそらすように弥四郎が何気なく言った。

「俺、会うた事ある」

「うっそー!?」

綾音が両手で顔を押えながらムンクの叫びのように身悶えし、またまたその態度を急展開させた。

「ただなあ、あの坊さんが明智光秀かどうかまでは……」

「違うわよ!」

おちょくられた綾音が、再び声を荒げた。

「誰がラスプーチンの話をしとるかあ!」

「違ゃうん?」

「ちゃう、ちゃーう!」

「分かった、天海と違ょおて十兵衛様やったな。それで、明智十兵衛光秀様やけど……」

「違―うー!」

どこまでも引きずる弥四郎に綾音も半分狂乱しかけていた。流石に弥四郎も幾分申し訳なさそうに綾音を見返すのであった。

「十兵衛様って言ったら十兵衛様よ!」

「だから、どこの十兵衛様やっちゅうてんねん」

正直、綾音の意中の人の名前を既に、さらに言えば最初から分かっていながら弥四郎は白々しくとぼけるのであった。

「だから!」

それに対して、綾音は気力の限界を振り絞って対抗した。最早これ以上の不毛な上げ足の取り合いに終止符を打つべく、綾音は断固として言い切った。

「決まってるでしょう、十兵衛様って言ったら十兵衛様よ!柳生十兵衛三厳様!」


 


 

2007年11月25日日曜日

はぐれ弥四郎流れ旅    ~第一章~  巻之弐


 


 


 

「あ、あの__」

若武者の後ろから声をかけた者があった。

振り向くとそこに立っていたのは、今しがた浪人達に取り囲まれて難儀していたあの娘であった。

「どうも、先程は__」

感に堪えぬといった様子で、精一杯の感謝の意を表すように娘は頭を下げた。

「誠に、何とお礼を申し上げて良いものやら……」

「帰れ」

「__」

健気に瞳を輝かせて甲斐甲斐しくも礼を述べる娘に対し、若武者は素気なく言うのみであった。

「若い娘がこないな所で一人ウロウロしてたらあないな目に遭うて当然やろが。さっさと帰らんかい。親御さんが心配してはるぞ」

「なによ!」

上方訛り丸出しで無情に言い放つ若武者に対し、娘は密やかな期待を裏切られたような気分で肩をいからせて言い返した。

「折角こうしてお礼言いに来てんのに、その言い草は一体どういうつもり?」

「あのな__」

娘の言葉に、呆れたように若武者は言い返した。

「それが危ない所を助けてくれた恩人に対する言い草か?」

「っるさい!」

娘が頭に来たというように声を荒げた。

「何が恩人よ!誰もアンタに助けてくれなんて頼んでないわよ!何さ、エラそうに、恩着せがましいったらありゃしない!」

「……」

若武者も、娘のあまりの逆ギレに言葉を失ったようである。

「人がわざわざお礼言いに来てやったのに、なによ、その態度は!」

指紋が見えるくらい人差し指をビシッと突きつけて、娘は言い放った。

「あの__」

「なにさ!」

若武者が何かを言おうとしても、娘は頭から受け付けず、弁明の機会すら与えようとはしない。

「なんか文句でもあるワケ?!」

「いや__」

いきり立つ娘に対し、若武者は最早何一つ抗弁することは不可能かと思われた。こうなったら仕方がない、斯様な事態に在っては男の為すべき事はただ一つしかない。

「どうも、エライ済んまへんでした」

若武者は素直に頭を下げた。

「分かりゃいいのよ、分かりゃ」

叩頭した若武者に対し、娘は踏ん反り返って頷いた。

「なによォ、分かってんじゃない、アンタだってえ。全くウ、素直じゃないんだからホントにもォ」

天下太平の笑顔で肩を叩いてくる娘に対し若武者は、はあー、と力無く溜息を吐いた。

「それで__」

若武者は言った。

「もう堪忍してくれるんかいな?」

「え?」

若武者の言葉に、娘はキョトンと視線を返すだけである。

「これで、そちらさんの御用は済みましたんかいな?」

「あ__」

若武者に言われて、娘は何かを思い出したかのように、ポンと手を打った。

「あの__」

またしても急激にしおらしく態度を変化させると、殆どしなを作るような仕草で、娘はモジモジと若武者を見上げた。

「先程は、危ない所を助けて頂いて__」

もう一回やり直しという趣で、娘は改めて若武者に礼を言い直した。

「はあ__」

若武者も今度は丁重な物腰で、と言うよりまた切れられては堪らぬというような風情で用心深く娘に応じた。

「申し遅れました、わたくし、綾音と申します」

「綾音さん、でっか」

どことなく叩頭するような、腰の低い態度で若武者は綾音と自らの名を告げた娘に相槌を打った。

「失礼とは存じ上げますが、そちらの御姓名をお教え頂けましょうか?」

「わしの名前でっか」

相手の御機嫌を損ねぬように、若武者も壊れ物を扱うような調子で答えた。

「自分は__自分の名前は」

若武者の次なる言葉を聞き逃すまいと瞳を輝かせた綾音が、固唾を呑むように耳を澄ませて待ちうけていた。

「氏井弥四郎__よろしかったらあんじょう、よろしう」