2007年11月14日水曜日

小金ヶ原異聞 ~一刀流創成記~    其の参


 

  
 


 


 

善鬼は試合を繰り返し、その名を天下に轟かせた。

伊藤一刀斎の高弟、小野善鬼と言えばその凄絶な剣技で相手を容赦なく血祭りにあげる非情の剣客として六十余州に知れ渡り、その名を聞けばどんな腕自慢も震えあがると評判が立つほどであった。

善鬼の前に立つのは、天流の川崎道軒という兵法者であった。

「う__」

善鬼の気合いに呑まれ、進むもならず下がるもならぬ道軒は、青褪めた顔で必死に剣を構えるのみであった。

「御免__」

善鬼の太刀が振り下ろされ、勝負は呆気なく終わった。

「師匠殿」

「うむ」

試合を終えて罷り出た善鬼に、一刀斉が満足げに頷いた。

「そちもかなり腕を上げたのう」

「是非も御座いません」

師匠の称賛に、善鬼は素っ気無く答えるのみであった。

「それがしが経験した試合はまだ八回にござる。師匠の半分にも及びません故__」

記録によると伊藤一刀斉は生涯に三十三度の試合を行い、全勝したとある。

善鬼が行った八度の試合のうち、三回が真剣勝負であった。木刀の試合であっても、善鬼は必ず相手の息の根を留めた。

"善鬼め"

一刀斉は思った。

"こ奴、益々強くなりよるわい"

試合を重ねる度に善鬼は確実に強くなってゆく。それは単に腕を上げると言うだけではなく、何もかもが変わって行くように善鬼自身には感じられた。しかし、同時に一刀斉には不安もあった。自分が殺られるなどと言う事ではない。何と言うか、善鬼自身にとって危険な、言葉にはならない不吉なものが忍び寄って来るように一刀斉には感じられるのだった。

試合を一つこなす度に、即ち人を一人殺す度に善鬼の中の何かが変わって行くように思われる。変わる、と言うより進んで行くように思える。それは初めての試合で最初の一人を手に掛けた時から、否、一刀斎の門人となって修行を始めた時から、もっと言えば大和川のほとりで顔を合わせ、立ち会った時から、善鬼の中の何かが成長、進歩、どのように言えばよいのかは言えばよいのかは分らぬが、なる様になって行っているように思われた。

善鬼の顔にも、それははっきりと表れている。元々他人を震え上がらせるような強面の人相だったが、最近では更に何か暗い影が射しているようにも見える。只の悪人面であった善鬼の顔が、今では凶相とも言うべき鬼気迫る顔に成り果せているようであった。

しかし、矢張り大きな転機は最初の試合であったろう。彼は自分で人を殺した事がなかったのである。時代が時代である、人を殺そうと思えば幾らでも殺せる状況だったが、善鬼はその経験がなかった。

元々善鬼はそのような性格ではない。気が弱いとまでは言えないが、どこか神経質で過敏な所があった。この時代、野心を抱く下層民の若者が一旗揚げようと思えば一番手っ取り早いのは、槍一本を担いで合戦に赴き、武勲を立てて功名を顕す事である。当然彼もまた、その例にもれず故郷の村を後に戦場に身を投じたのである。しかし、現実は甘くなかった。実際に戦場に出ると足が竦み、良き敵を探す所か槍合わせ一つ満足に出来ないのである。村では暴れ者で通った腕自慢の善鬼だが、戦場に出るとまるで勝手が違うのである。嘶く軍馬の轍、法螺貝や陣太鼓の響き、武者押しの喊声が轟くと普段の自分がどこかに失せて、何が何やら分らなくなるのだった。戦場では、意外に平素臆病な者が暴勇を振るう事がある。無論、日常勇猛で合戦に臨んでも矢張り変わらぬ豪傑や、普段から臆病で戦場でも震え上がる様な者もいる。善鬼は日常豪儀だが、いざ戦場に出るとまるで萎縮する性質であった。図体はでかいし我は強かったが割と思い詰める性格で、どちらかと言えば粗暴な荒武者とは肌合いが違う様である。

「お主に槍働きは無理ぞな」

この様に言われる事もしばしばであった。

「一度、山にでも籠ってはどうじゃ」

この時代、所謂密教的な修行で心胆を練る武士は少なくない。笹の才蔵と異名を取った可児才蔵などは、肉体的な素質は申し分無かったが余りに気が小さくやはり密教の修行に身を投じ、怪しげな行者の暗示により恐怖心を克服して以来人が変わったように豪胆となり、周囲の目を欹てるほどの軍功を次々と打ち立てるに至ったのである。

善鬼もまた、大峰山に籠って修験道の修行を始めたが、生来のめり込む性格らしくいつの間にか戦場で武功を立てる事を忘れ、山伏の修行に精を出し始めた。集中力は有るが、その為に人人人が入り乱れる合戦には向かない性格だったのである。寧ろ一人で没頭できる修験道か、目の前の相手だけに集中できる兵法の試合が善鬼の本領であるようだった。恐らくはそのせいだろう、善鬼は日々兵法の修行に打ち込んでいる。それが今の善鬼にとっての全てだった。他には何一つ彼の日常には入って来ない。それは、まるで執り憑かれたような姿だった。

師の一刀斉も戦場に出た事はない。あったかも知れぬが、本人の口から語るほどの武功を立てた事はないのだろう。兵法者とは大体そうである。この時代、豪傑として知られた荒武者は皆、兵法など軽んじていた。例の塚原卜伝なども生涯に打ち取った数二百十二人、などと具体的な数字を吹聴してはいるが、その内訳がどこで何人、ここでこれだけとは明確に語られていない。戦場では手傷を負わされた事が無い、とだけ記されており、卜伝自身の先輩であり師匠の一人でもあったであろう松本備前守のように、戦場での武勲首級の総数七十五、その内兜首が二十五と言った具体的な手柄話はどこにも書かれていないのである。この時代、丁度卜伝の時代辺りから兵法も戦場での実用技法から試合という形式に絞った"武芸"に転換しつつあるようだった。

戦場で役立たずの烙印を押された善鬼が病的な執念で兵法の修行に打ち込むのも、その時の屈辱を雪ぐ為の決意だったのだろう。

その姿に、一刀斉は流石に不安を覚えた。

「そち__」

一刀斉が、ある日善鬼に言った。

「おなごは嗜むかの?」

師匠の意外な言葉に、善鬼も怪訝な顔を隠しきれない。

「おなごは良いぞ」

答えるに答えられず、無言のままの善鬼に一刀斉は続けて言った。

「ただし、ほどを弁えればの話じゃがの」

一刀斉には苦い経験がある。前原弥五郎と名乗っていた頃の話だ。

当時一刀斉、前原弥五郎は一人の女と懇意となり、彼自身すっかり気を許していた。その日も弥五郎はその女と飲み明かし、座敷で横になって寛いでいた。女は部屋を開け、代わって数人の男たちが入って来たのであった。とっさの事態に驚いて応戦しようとした弥五郎だったが、彼の脇には大事な差料がなかったのである。女が持ち出したのだ。実はその女の正体は弥五郎がかつて斬った兵法者の縁者であり、彼を斃す為に送り込まれたのである。

酔いも一遍に醒めた。如何に弥五郎と言えども絶対絶命の危機である。無手の弥五郎がどうやって完全武装の一団を相手に戦ったのか、本人もしかとは記憶がない。そのうち相手の一人から得物を奪い、形勢を逆転して何とか窮地を脱したのであった。これが一刀流"払捨刀"誕生の由来であると後世伝えられている。

それ以来、弥五郎は酒色を断ち、名も伊藤景久と改めた。同時に兵法一筋に打ち込むという決意を固め、一刀斉と言う号を名乗ったのである。

「何につけ、ほどほどにせよ。酒も女も、の」

そんな師を怪訝な顔付で見つめる善鬼だった。

「兵法もまた、然り」

一刀斉の言わんとする所の意味を測りかねて、善鬼は一言もなかった。

最近一刀斉は頻りと夢に見る。今までにこの手で葬った二人の弟子たちであった。

"わしも、老いたか__"

かつては鬼夜叉と呼ばれ、魔性の剣技で数々の強敵を

倒し、弟子をも手に掛けた非情の剣聖、伊藤一刀斉も年とともに気が弱くなり、仏心が生じるようになったのか。

そんな一刀斉の煩悶をよそに、善鬼は日々、兵法の修行に余念が無かった。


 


 

ここは関東、俗に言う関八州である。時に天正十五年、関白に叙任され豊臣の性を賜った旧羽柴秀吉が九州征伐に軍勢を上げている頃である。関東の大領主北条氏は信長在世中にすぐ隣の徳川家と不可侵条約を締結しており、中央の覇権争奪戦とは直接関わりないが、豪族同士の小競り合いが未だに続いているのが関八州である。しかし現在は小康状態にあり、今の所平穏な八州に姿を現した一刀斉と善鬼の師弟は上総の国で宿を取っていた。

"師は変わられた"

最近の一刀斉に、善鬼は不満を抱いていた。

この八州行脚の最中、一刀斉は古藤田俊直なる人物を門人に加えていた。それも主持ちで旅に同行もせず、数日の逗留中に手解きを受けただけで単に名義上師弟の契りを交わしただけの関係だった。以前の一刀斉ならばそのような腑抜けた約定など一蹴したであろう。

「これも世渡りぞ」

兵法者と言えど、只腕前を誇って踏ん反り返って居れば良いという物ではない。矢張り世知辛い浮世を生き抜いて行く為には有力者に取り入って何かしらの利益に有りつかねば食ってはいけないのが悲しいかな現実なのである。長い放浪生活で一刀斉はその方面の手管も心得ていた。

その古藤田から、推挙したい若者がいると聞いた一刀斉はこの上総にやって来たのだ。古藤田の仕えていたのは北条氏、上総の領主はその北条一族とは仇敵の間柄ともいうべき里見氏である。だが、元々古藤田家は北条家の家臣ではない。と言うより、後北条氏自体がここ半世紀ほどの間に台頭してきた、俗に言う出来星大名で代々の家臣など殆どいないため、別段この両家の家臣同士が親交を持っていても不思議ではない。現に古藤田家は江戸時代には美濃大垣戸田家に仕えている。

「神子上典膳でござる」

一刀斉の前に現れた若者は頭を下げた。それほど大柄ではないが、何かしら秘めた物を感じさせる気配を漂わせている。

「古藤田殿より御尊名は伺っておる」

一刀斉も如才なく答えた。

「なるほど、話に聞いた通りの利発そうな若者じゃて」

如何にもこちらを小僧扱いした一刀斎の言い方に、典膳は少し不満を抱いたらしい。

「古藤田殿からの要請では、貴公に手解きするよう頼まれたが……」

「いえ__」

典膳は首を横に振った。

「拙者が願いたき儀は試合にござる」

「試合、とな」

典膳の大胆な発言に、一刀斉は内心を糊塗してひょうげて見せたが、善鬼は一遍に顔色を変えた。

「左様__」

恐れを知らぬ不敵な態度で頷いた典膳に、一刀斉も苦笑いを洩らした。これで察せよ、と言う一刀斉側の信号だったが、やや震えを伴った典膳は、覚悟を決めたと言わんばかりに押し黙ってそこに踏み止まっていた。

「試合とあらば__」

そんな身の程知らずの青二才に、善鬼が身を乗り出すように言った。

「師匠の前に門弟たるそれがしが御受け仕ろう」

内心に怒りを燃やした善鬼が目の前に立ちはだかると、流石の典膳も蒼褪めて足が竦んだ。彼も伊藤一刀斉の高弟、対戦相手を必ず血の海に沈める情け無用の殺人狂、無頼の凶剣と呼ばれた小野善鬼の評判は聞いている。平然としていられる方が異常である。

「これ、善鬼よ__」

相も変わらず余裕の苦笑いを含んだ一刀斉が、弟子の短慮な言動を戒めた。

「典膳殿はこの一刀斉との立ち会いを所望との仰せじゃ。弟子のそなたを立たせては不敬と申すものじゃて」

善鬼が試合に出れば典膳を叩き殺すであろう。そうなっては折角の後援者を失いかねない。一刀斉は善鬼を制して典膳の前に罷り出た。

「神子上殿、弟子の非礼は御詫び致す。これこの通り、伊藤一刀斉が貴殿の御相手致すゆえ、ご容赦願えまいか?」

「かたじけのうござる」

善鬼の怒気に煽られてすっかり自分を見失った典膳が、救われたような思いで一刀斉に答えた。

「試合は何にて致そうや」

「真剣で御願い申す」

「ふむ__」

折角一刀斉の配慮で取り留めた一命を再び放り捨てるような言動に正直呆れたが、同時に何か感ずるものが有ったようである。

「承知致した」

一刀斉も頷いた。

「貴公は真剣なと何なと御随意に使われるがよい」

そう言うと、一刀斉は薪雑報を一本拾い上げた。

「それがしはこれにて__」

怪訝な顔でこちらをうかがう典膳に、一刀斉は言った。

「仕る。御遠慮無う参られよ」

再び典膳の顔色が蒼褪めた。今度は恐怖ではなく、怒りと屈辱である。年若いとは言え、三神流という余り聞いたことのない流派とは言え、彼も一応一端の兵法者である。それをここまで正面切って侮辱されたのでは我慢ならぬ所だ。

その脇では善鬼が、小気味良さげにこのやり取りを見物していた。

「いざ__」

一刀斉は一尺の薪を手に半身に構えている。

典膳も度を失って愛刀波平行安二尺八寸を引き抜くと、右脇に構えた。だが、それは構えたと言うよりは刀にしがみ付く様な姿だった。本人も何をやっていいのか分らない。今や、自分が何をしているのかすら把握できなくなってしまっていた。無我夢中で一刀斉に向かって行った。何をどうやったのかも、どうされたのかも全く理解できない。只、気がつくと得物を奪われ、一刀斉が手にした刀を静かに薪を並べる棚に置くのが見えただけであった。

「__」

「今一度、仕ろう」

一刀斉に促され、まるで操られるようにその言葉通り刀を手にするとまた同じように斬りかかって行った。

結果は同じであった。

まるで勝負にならず、薪を手にした一刀斉を相手に真剣で立ち向かった典膳は只々いいようにあしらわれるだけであった。

「御得心かの?」

そう言うと、一刀斉は奥に引っ込んだ。しかし、典膳は真剣の代わりに三尺の木刀を手にすると一刀斉に懇願した。

「い、今一度__」

姿を見せた一刀斉は再び薪を手に、典膳と向かい合った。何度繰り返しても、結果は同じであった。

「なかなか良い太刀筋でござる」

一刀斉は目を細めた。

「若いうちは修行が肝心であるゆえ、何度でも御相手致そうず。貴君の身に傷を付けるような事は致さぬ、存分に掛って来られよ」

流石に向こう気の強い典膳もこれで完全に毒気を抜かれてしまった。

一度帰宅して夜も眠れず考え明かした典膳は、これはまさしく氏神の化身かと思い決め、彼もまた一刀斎の門下に入ったのである。

善鬼に取っては破滅の始まりであった。


 


 


 


 


 


 

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